沖縄本島美ら島巡り(4)

沖縄地図(3日目)

3日目は、路線バスを乗り継いで、沖縄の南部を回る予定でいましたが…

3日目

朝食(ホテル山の内)

バイキング形式の朝食

ホテル朝食バイキング

昨日時間の都合で行けなかった、ホテルのレストランで朝食を食べました。
特に沖縄ならではというものではなく、割とありきたりのメニューでした。
写真のもの以外にも、ロールパン、サラダ、コーヒーなど洋風のものもありましたので、そちらの方も選んで食べておきました。
\980 の元は取らないと、と生来の貧乏性からか、ついつい食べ過ぎてしまいました…

タクシーでの南部周遊

二晩お世話になったホテル山の内を後にして、路線バスに乗ろうと徒歩でバスターミナルまで向かいました。

荷物を置くロッカーと、足りなくなった現金を下ろすための銀行を探そうとしたところ、突然、「お兄さん、旅行ですか?」と声を掛けてくる人がいました。
これが、結局その日一日お世話になることになった、タクシー運転手の仲宗根さんとの出会いでした。

バスでひめゆりの塔まで向かう予定だということを告げると、「バスは本数が少なく時間が掛かるし、乗り継ぎが分かりづらいから、初めての人には大変だよ。安くするからタクシーで行かないか?」と勧められました。

分かりづらいというのは、確かにその通りなのです。
もちろん地理に不案内だからという理由もあったと思いますが、滞在中、目的地とは全然別の方向に行ってしまい、やむなくバスの終点まで行って引き返すという痛い経験もしました。
今日は、その時の私を見かねたバスの営業所の人からいただいた、詳細な路線図があるから大丈夫だろうとは思っていたのですが、やはり詳しい人に任せる方が確実だろうし、ひめゆりの塔まで、\2000 (路線バスの2倍程度?) で行ってくれるとのことなので、とりあえずお任せすることにしました。

ひめゆりの塔に向かう道中、「この際、一日ずっとタクシーで周らないか?」とさらに勧められました。
贅沢な気分で周遊できるとはいえ、同様のコースを観光バスで周る場合の倍程度の提示だったので、さすがにどうしようか迷っていました。

そういえば手持ちが足りなくなっていた、という事を思い出し、道中何件かコンビニに寄ってもらったのですが、東京のようにATMまで設置しているところはなかなかないようです。
道はだんだん銀行もなかなかなさそうな、田舎の方に向かっているしどうしようか… と思っていたところ、仲宗根さんが、「心配いらないよ、後で返してくれればいいからこれを使いなさい。」と、ポンと1万円を貸してくれたのでした。
さすがにそれは悪いなと思ったのですが、他に方法もなさそうだったので、謝意を伝えお借りすることにしました。
後日、多少の利子つけてお返しさせていただきました。(^_^.)

そして、帰りだけは路線バスを利用するという条件で少し安くしていただき、引き続き運転をお願いすることになりました。
さっき会ったばかりの人に、疑いもなくお金を貸すなんて、なかなかできないことだと思います。
ウチナーンチュの親切な一面を感じた瞬間でした。

ひめゆりの塔

戦争の悲惨さを痛切に訴える場所

ひめゆりの塔1 ひめゆりの塔2 ひめゆり平和祈念資料館

那覇から1時間程南下し、今日の最初の目的地、ひめゆりの塔に到着しました。

写真左:ひめゆりの塔:この塔の下にはかつて防空壕があり、米軍のガス弾攻撃を受け、
  多くのひめゆり学徒隊が犠牲になった場所だそうです。
写真右:ひめゆり平和祈念資料館:ひめゆりの塔に隣接し、 さまざまな資料等を通して「ひめゆり学徒隊」に関して紹介しています。
  館内は撮影禁止になっていたので、入り口のみの紹介です。

任命当初は皆、安全な場所で看護活動を行うものと思っていたのですが、実際の現場は、前線からの負傷兵が次々と送られ、寝る間もほとんどないまま、昼夜も働きづめの過酷なものでした。
また、病院壕の中は血と膿と排泄物の悪臭が充満し、環境も非常に劣悪でした。
そして、敗色濃厚となった6月18日に突然出された「解散命令」によって、自分達の判断で行動することを余儀なくされることになってしまった後、戦場を逃げまどい、ある人は米軍の砲弾で、そしてある人は絶望し自らの手で手榴弾を爆発させ、より多くの人が犠牲になっていきました。

資料館には今も交代で、元ひめゆり学徒隊のの方々が来られて来館者に当時の状況の話をされています。
実際の体験談は、何にも増して説得力があります。
必ず何か感じるものがありますので、沖縄に来られた際はぜひ訪れておくべき場所だと思います。

昼食(雪花菜)

工芸品に囲まれた風流なお店

ソーミンチャンプルー

ひめゆりの塔見学後、すぐ近くの雪花菜で昼食を摂りました。

仲宗根さんお勧めの『ソーミンチャンプルー定食』(\550 写真左) を注文しました。
そもそも、そうめんを炒めるという発想自体なかったので新鮮でした。
味は焼きビーフンに近いものがあるでしょうか…?
朝、ホテルで食べ過ぎたせいで食欲は少し微妙でしたが… おいしくいただきました。

また、お店のオーナーは著名な陶芸家でもあるようで、大小さまざまのシーサー、
壷の焼き物などが置かれていて、風流な趣も醸し出していました。

平和祈念公園

戦没者を静かに弔う場所

平和祈念公園1 平和祈念公園2 平和祈念公園3
平和祈念公園4 平和祈念公園5

ひめゆりの塔を後にして、程なく平和祈念公園に到着しました。
ここの敷地はかなり広大で、じっくり回っていたらとても時間が足りないので、場所を限定して周る事にしました。

写真左上:平和祈念資料館入口
  この資料館だけでも比較的大きな建物です。資料館では期間限定で展示されているものだけ見てきました。
写真中央上、右上:平和の礎
  この敷地の一角には、沖縄戦で亡くなられたすべての人々(20万人余)の氏名を刻んだ祈念碑が並んでいます。
写真左下、中央下:摩文仁(まぶに)の丘から臨む風景
  今でこそとてもきれいな海ですが、元ひめゆり学徒の体験談によれば、沖縄戦当時、この辺りの海上は米軍の船が囲み、
  砂浜は兵士や住人達の死体でいっぱいだったとの事です。
  その当時の事を思い出すからということで、その人は随分長い間、海に行くことができなかったそうです。

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