新たな航海へ向かおうぜ p(^_^)q

2014年6月20日

『三沢さん、急死』

その衝撃的なニュースを初めて知ったのは5年前の6月13日。
友人と夜を徹して話した明くる朝の帰り道、始発電車の中で乗客が読んでいたスポーツ新聞の見出しでした。

「嘘でしょ? 信じられない…」
それから家に帰った後、徹夜の眠気もすっかり吹っ飛んで、テレビやネットなどで一心不乱に情報収集。
そうして徐々に分かっていったことは、試合中に相手の技を受けた後、立ち上がれなくなり、そのまま帰らぬ人となってしまった、ということ。

三沢光晴選手のことを初めて知ったのは、大学生の頃。
弟の勧めで、小学生の頃以来10年程離れていたプロレスを、再び見るようになったのがきっかけでした。
相手のどんなに凄い、エグい技を受けた後も、まるで何事もなかったかのように不死身のように立ち上がり、華麗な技で相手をなぎ倒していった三沢さんは、まさに僕にとってのヒーローでした (*^^*)
当時いた会社では、順番で朝礼を行う習慣があったのですが、その直後の朝礼の場で、周囲がドン引きするのを感じつつも^^; 三沢さんに対しての思いを訥々と語ったことが思い出されます(^^ゞ

その三沢さんの命日となった日のプロレスリング・ノアの興行は、『三沢光晴メモリアルナイト2014』
会場となった後楽園ホールの一室には献花台が設けられ、在りし日の三沢さんの写真、生前に愛用した品々などが飾られていました。

この日のメインイベントは、その三沢さんの後継者とされる丸藤正道選手と、奇しくも三沢さんの最後の対戦相手となった斎藤彰俊選手とのシングルマッチ。
試合の方は、彰俊選手の体重の乗った重みのある攻撃と、丸藤選手のトリッキーかつアイデア溢れる攻撃との一進一退の攻防。
そんな試合の勝敗を決めたのは、丸藤選手が繰り出した、かつての三沢さんの必殺技『エメラルド・フロウジョン』でした。
まさかこのタイミングでこれを出してくるとは。。
何とも心憎いことをしてくれます(^^ゞ
そして試合後には、ちょっとした感動的な出来事が…
両選手のマイクパフォーマンスに、私も思わず胸熱になりました (;_;

この日の興行は、ほぼ全選手が、喪章ならぬ三沢さんのシンボルカラーである緑のサポーターを巻いての登場。
休憩前には、全選手が登場しての黙祷、10カウントのゴングも執り行われました。

この日の後楽園ホールは、三沢さんの思い出がいっぱい詰まった空間。
そして三沢さんが蒔いていった種は、着実に成長しつつある。
そんなことを肌で感じたひとときでした(*^^*)